『エジプトの国家エージェント 小池百合子』を『カイロ大学』の続編として読むことで、浅川劇場を堪能する【中田考】
そして都知事選前の2020年6月9日、駐日エジプト大使館のウェブサイトに掲載されたカイロ大学学長による「小池の卒業証明」と「カイロ大学の卒業証書の信憑性に疑義を呈するジャーナリストへの警告」(18頁)が、浅川の手にかかると、我が国の首都の知事を決める選挙活動で再選を目指す現職知事小池が外国政府と通謀、共謀して外国政府の権力行使・介入を手引きしたので「反逆罪」と呼んでも大げさではないという話になっているわけです。
しかし、ハーテムが小池を養女にした、というのも、エジプト人ならよくいう社交辞令で「娘」と言ったというだけの話です。日本でも「おにいさん」「おねえさん」「おじさん」「おばさん」という単語は、親族名称としての兄弟と姉妹、父方と母方の兄弟と姉妹を指す場合と、年長の男性、女性一般を指す場合がありますが、アラブでも、親族名称の多くについて直喩、隠喩で同じような言い回しがあります。日本語だと「娘」は親族名称としても若い女性にも使われますが、息子は若い男にはあまり使われませんね。
なによりも小池がハーテムを「スピリチュアル・ファーザー」と呼んでいることからも(36頁)、「娘」といっても養女ではなく、先生に対する生徒のような関係であったことは明らかです。『エジプトの国家エージェント 小池百合子』は万事がこの調子で、「天性の俳優たち」であるエジプト人たちの暑苦しい濃密なコミュニケーション、芝居じみた大袈裟な言葉遣い、社交儀礼、外交辞令が、おどろおどろしい陰謀論に仕立て直されているのです。
同じことが『カイロ大学』では全く別の筆致でコメディー仕立てで面白おかしく語られています。私もチラッと登場するので、抜き出してみましょう。
カイロ大学の学風はまさに「闘争」と「混乱」です。
−中略−
そんな混乱を経験済みのカイロ大学出身者の共通点は、乱世に強いことです。だからこそ、世界史を動かす、特異な人物を生み出してきたのです。
-中略−
乱世に強いというより、世を混乱に陥れた人物をたくさん輩出しています(6頁)。
-中略−
小池氏卒業の後、日本人で有名な出身者といえば、イスラム法学者でカリフ制復興論者の元同志社大学教授・中田考氏(1992年カイロ大学哲学博士号取得)もいます。現在、その語学力を生かし、SSY(「世界征服に役立つ」の略称)外国語教室でアラビア語、ヘブライ語、トルコ語の教鞭をとっています。
カイロ大学は世界に混乱をもたらす人物と平和を求める出身者が混在しているのが特徴です。どちらの側につくにしても、両者の間では死ぬか生きるかの思想闘争が繰り返されています。
-中略− カイロ大学は「平和学」ならぬ「混乱学」を学ぶ最高のフィールドなのです。
世の中は東大やハーバード大などのエリート大学本であふれています。しかし、混沌とした現代社会では、理路整然を至高の価値とするエリート主義はなんの役にも立ちません。
カイロ大出身者はそれぞれの分野でトップを目指し、世界を変えようと闘争します。その過程で巻き起こる混乱(一般人からみれば)など、一切気になりません。その証拠に都政や国政をいくら混乱させても、平然としているのが小池氏です。カイロ大仕込みの混乱を自ら仕込んでいるのですから、何ともないわけです(7-8頁)。
-中略−
かつて小池氏も「ケイオスティック(混沌に満ちた)・カイロ」という小論を書いています。カイロといえば混沌なのです。ルールなどありません。すべてはカイロ流交渉術で物事がきまる世界です。
1章では実際に小池氏や筆者が留学生活で身につけた、混沌としたカイロ流交渉術を開陳します。この交渉術は日本でも大いに役立ちます(10頁)。
−中略−
6章は、「カイロ大学留学のススメ」です。カオスのような現代世界で生き抜くには、カイロ大学の混沌の中で学ぶのがいちばんの近道です。しかも、日本人には入学試験は課されません。交渉術によって、誰でも入学が可能です。入学できた時点で、カイロ流交渉術をマスターできている証です。その経験とスキル習得だけでも、日本の大学に入るより、たくましくなれるはずです。
−中略−
本書によって世界最強の大学の存在が世に知れ渡り、カイロ大に留学する後輩が続々と生まれ、混沌とした世界史をリードする人物が誕生する契機になれば幸いです(10頁)。